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やさしさを生きる・・・

職人の手の向こう
北イタリア・ブリアンツァ地方はミラノ・コモ・ベルガモなどの市に接し、緩やかに広がる田園の中に街が点在する。遠望すると、街々には教会の尖塔が聳え、その街一番の高さを誇っている。ミサだけではなく時刻を告げる鐘の音には微妙な違いがあり、それぞれの街の個性を感じさせてくれる。

 この地方は、古来より家具など木工製品の製作が盛んな土地で、今も伝統的な手法に基づく家具造りが行われている。3,000を超えると言われる木工工場のほとんどが町工場で、家族を中心にした3〜4人の職人達で構成されている。ファミリーと言うイタリアの家族の絆がこんな処にも垣間見られる。

 町工場と言っても日本とは異なり、一歩、中にはいると人がいないのかと思わされてしまう。それ程、ゆったりとしたスペースの中で仕事が行われ、その上、仕事のテンポまでもがゆっくりとして見える。ここでは、日本のような時間の密度が感じられない。その分、仕事の一つ一つが丁寧に行われているように思える。

 そこで働く人=職人達の一部で、親・子・孫の三世代で仕事が進められ、次の世代へと伝統の技を伝えていく力まない姿に出逢った。が、その多くは高齢化し、眼鏡を掛けて仕事をする親と子である。そんな中、90近い歳でありながら、今もなお、現役で木をコツコツと刻む職人と出逢った感動と大学生の息子を持つイタリア人から聞かされた“仕事を継がすべきかどうか”の悩みの重さは、この業界の将来を暗示させる。

 撮影に訪れた職人達は皆、気さくで好感に充ち満ちていた。国民性の違いか日本のような気難しい人には出逢わない。ただ、撮影していて困ったのは制作行程が細分化されているため、今やっている作業が家具のどの部分になるのかなかなか見えてこないことと、それを聞く言葉を待たなかったことである。

 撮影後には、必ず、感謝の気持ちで手を差し伸べた。中には、汚れた手を気にして手の甲や手首で握手に応えてくれた人もいたが、どの手からも木屑を通して暖かく、見た目とは異なる柔らかな感触が伝わってきた。その手の中には、数世代に渡る技の蓄積が宿る反面、細分化された行程の一部分でしか技の活かしようがなく、それぞれを繋ぎ合わせる人の技量にゆだねられた厳しい現実が見て取れる。                                                                   
 文・細川 和昭
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