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-今、本質のライフスタイルを求めて-
やさしさを生きる・・・
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第一章 プロローグ
      出会い/プロフィール/淀川の野草に学ぶ/秋山紀行に学ぶ/排泄の原点


第二章 終の棲家
     
細川 むらさきしきぶと山椒が実をつけてますね。
吉村 五月中旬には実がとれます。今年は少し早いかな。山椒にも雄と雌があるの知ってますか。これは百日紅、種が飛んで生えたの。もともとの木は貝殻虫がついたので切ったの。だけど種が飛んだのね。
細川 これは野蒜ですね。つぼみがあるでしょ。これがなかなか花がさかないんですよ。いつか花の写真を撮ろうと思ってるんやけど。これも咲かないね。こっちはもう少しすると花が咲くかな。
吉村 これは紫式部のはずだけど。
細川 雑草をとるのは大変でしょうね。
吉村 取らないんですよ。なるべくそのまんま。
細川 これは山百合ですね。赤い花に黒の斑点があるやつね。ここは敷地境界はレンガ塀だったんですか。
吉村 そうですね。ただ、道路をつくるのに、敷地を供出しなくちゃいけなくて、その時壊した塀のレンガを地面に引いたりしています。これがライラック。だいたい四月の一〇日から一五日頃に花が咲きます。どんどん増えるから、白と紫とあるけど、いるなら持って帰ってね。ただ咲くのに時間はかかりますけどね。これは鉄線。鉄線はみんな上を向いて咲くので二階から見たほうがきれいね。
細川 山椒いい匂いしてますね。
吉村 山椒はそこらじゅうに種が落ちて生えてますよ。草が多いと出やすいんですよ。しゃくなのは美味しい柿の種を植えてもう八年経つのに、ならないんですよ。
細川 そのうちに出てきますよ。
吉村 これはピラカンサ。赤い実をつけて小鳥が来ますよ。花の季節も見た目も、大手鞠に似てますけどね。これが白い山吹。種も採れますよ。
細川 白い山吹って珍しいですよね。
吉村 それもこれは一重なんですよ。このごろは八重が多いでしょ。これも、鳥が持ってきたの。

細川   海外に撮影に行くと、日本人の文化は世界に通用する素晴らしいものなんだと改めて実感する。だけど今はグローバルスタンダードという言葉に振り回されて、「自分達の文化や暮らしを見失いかけている」ように思います。僕は写真を撮るけど、僕から見て設計という立場の人は、施主の様々な要望をうけとめて、いわば交通整理のようなことをしなければならない。それを設計という行為の中でどこまで割り切っていくのか、ということにとても興味があります。削ぎ落として削ぎ落として、そして最終的に最もデザイン的でなくなったものとして建築作品があるのか。もっと言えば、吉村さんは60年間の設計活動の最終の結果としてこの家に行き着いたのか、ということです。
吉村 私も若いころは無茶な設計もしました。でもこの家は親父の建てたのをそのままを再現しただけです。
細川 設計者の「暮らしの原点」はどこにあるのか、その点を見つめれば「ものをつくる人自身に本当の心の豊かさが必要なんだ」と言うことに行き着きますね。
細川 なんで暖炉かということからも、そもそも暖かさとは何かという視点がでてきます。暖炉の火の暖かさと、今の空調の暖かさって本質的にちがうはず。
吉村 暖かさということでは、暖炉の火にあたっていると、こう体の前は暖かいんだけど背中は寒いの。当たり前のことですが、でもそれは先ほども言った不便さがあって「足るを知る」ということ。家中いつもどこでも「暖かいことに慣れてしまうと、暖かさなんて感じなくなります」よ。

細川 吉村さんのお宅へお邪魔すると、「五感が反応する」というか、「住んでいる人がその身体で家を着ている」ように感じます。
吉村 うちは家を新しくするまでは、明かりをつけるのはいつも照明器具のかさの上についているつまみをひねっていた。ところがね、今度は電気屋さんが壁にスイッチをつけてくれたんです。そうすると、いつもさあ明かりをつけようと器具に手を伸ばしてから、「ああ違う」と壁のスイッチを探してるんです。かえってこれは不便です。
細川 壁にスイッチをつけたばっかりに、明かりとは全然違う方向へ明かりをつけに行かなきゃならない(笑)。

吉村 もし生まれ変われるとして何になりたいかと言われたら、ちょっと即答できない。とにかく文明が嫌いです。「人間は際限なく進歩しようとしてます」が、この辺でほどほどに止まらなきゃいけない。無理なのはわかりますけどね。
細川 そうですね、今や「文明国が暮らし方を見直しやさしく生きる」時がきたって感じですね…

吉村 日本は「もともと自由で大らかな間取りだった」のにね。今では西欧合理主義は大嫌い。
細川 写真を撮る立場で言うと、合理的で無駄のないものは、写真を撮ると駄目なんです。アングルが厳しいというか、とにかく面白くない。「特に昔のものに比べて今のものはディテールに持ち味がないですね」。ディテールの無い建物は撮影もすぐ終わってしまう、僕の限界なんかもしれないけど(笑)。

細川   吉村さんのお宅に長いこと撮影に通って思うのは、僕がもしこの家に暮らすとしたら、きっと大変だろうな、不便な面はたくさんあるだろうな、と言うこと。でもそれがこの家ならではの良さ。これから先の生き方なんかを考えると、本当に人間に必要なシンプルな生活がここにはある。
吉村 そりゃあ不便ですよ。でも何もかも便利になった今の人と「満足度のとらえ方が違うんですよ」。不自由だけど、でもそれによって「足るを知る」ということですかね。
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